病院長の挨拶

病院長挨拶:渡邊 正

院長先生

新年のごあいさつ

 
 新年明けましておめでとうございます。本年の皆様方のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。 年の初めにあたり、皆様の抱負はいかかでしょうか。私たち東海中央病院にとりまして、今年は病院の本館別館(緩和ケア病棟を含む)がともに完成したことにより、新病院として新たなスタートを切る新春に ふさわしい年となりました。今年の干支にちなみ、天を駆け上る竜にふさわしく大きな飛躍をしたいと思っています。 新病院のアースカラーの建物は、濃尾平野を縁取る小高い山々の緑にすっかり溶け込み、重厚感とともに温かみをもって 患者さんをはじめ多くの外来者を迎え、活発な診療活動を始めています。    
  さて、新病院の落成式は東日本大震災の翌日と重なり、悲しみと混乱のうちに迎えることになりました。予定通り行うかどうか迷いましたが、 命と健康を守る病院のスタートは、希望の象徴でもあると考え挙行させていただきました。その後被災地への支援活動に、 当院の職員もたびたび参加しましたが、私自身も看護師と同行し、陸前高田市にてボランティア活動をしました。 当市の県病院は津波により無残に破壊され、仮病院にて診療が行われていましたが、入院施設もない有様で被災地の方々は大変な苦労をされていると 思いました。しかし、東北の人々の忍耐強さに勇気をいただいただけでなく、全国から訪れるボランティアの支援活動をみて、 私たちの国がひとつの“絆“に結ばれていることを実感し、将来への希望をも感じることができました。今年は本格的な復興の年、 私たちもその力強さを見習いながら、がんばっていきたいと思います。      
 今回の新病院の完成により療養環境が格段に改善されましたが、医療の原点は、“ひととひととの温もりのある関わりの中で、 前向きな心を育みつつ、病を克服していくこと”にあると思います。現在、急性期病院は在院日数が益々短縮されてきていますので、 本来の医療のあり方から離れ、“からだ”だけに焦点を合わせた医療になりがちです。私たちは、患者さんが住みなれた地域で質の高い医療・ ケアを切れ目なく受けることができますように、メディカルサポートセンターの活動を中心に地域の医療・介護・福祉との連携を 一層進めていきたいと思っています。また、がん患者さんの療養を支えていくために、岐阜県で3番目となる緩和ケア病棟を新設いたしました。
 私たちは、“全人的医療と地域連携を主軸において、質の高い安全な医療を提供する急性期病院”を目指し、 “市民の皆様に開かれた病院”となりますよう職員一同鋭意努力したいと思っています。本年もよろしくお願いいたします。  
  改めて、新しい年が、皆様にとって幸多い年となりますよう心より願っております。
 
   当院は、公立学校共済組合員のための健康管理事業を行う職域病院として、 昭和30年4月に川崎航空機工業の岐阜製作所付属病院に開設されました。 開設とともに、 地域の人々の健康を守る砦として急速に発展し、各務原市およびその周辺地域の市民病院的役割を担って今日に至っています。 今回の新病院開院にあたって、当院の歩みを紹介いたします。  当院は開設から新築移転までの旧病院時代と、移転後の新病院時代の二つの時期に分けられます。
Ⅰ期<昭和30年4月~昭和52年10月那加桜町>
昭和30年4月 川崎航空機工業の岐阜製作所付属病院を買収して開設される。鉄筋コンクリート3階建、病床80を有し、東海地区有数のモデル病院であった。
昭和33年7月 増改築により201床(結核128床、一般病棟 73床)、委託伝染病棟25床となり、日比野進名大教授を初代院長(併任)に迎えて開院式を行う。
昭和39年 226床を有する総合病院として認可を受ける。
昭和49年 疾病構造の変化により結核病棟は一般病棟へ転用された。また病院新築に当たり、土地1万坪の寄付など、各務原市と協定が交わされた。
Ⅱ期<新病院時代 昭和52年11月~平成23年3月現在 蘇原東島町>
昭和52年11月 新病院落成式、276床(うち人間ドック 24床)
昭和63年 B病棟増築し、332床となる
平成元年 増改築工事が竣工し、救急医療、人工透析が開始される。
Ⅲ期<平成23年4月~現在 蘇原東島町>
病院の全面改築とHCU(高度治療室)および緩和ケア病棟の開設を行う。


がんの緩和ケアに力 ぎふ医療Web 診察室からこんにち話(2011.1.14掲載)